冷蔵庫の進化がすごい!

前回の日記で炊飯ジャーのことを書いたので、家電製品の歴史をちょっくら振り返ってみた。

僕が子供のときはまだまだテレビはガチャガチャチャンネルの白黒だったし(これがポロリととれたりするんだよね)、洗濯機もショボかった。

それが高度経済成長とともに、テレビには色が入り、洗濯機は全自動になり、冷蔵庫においては究極的な進歩を遂げた。

最近の日本の冷蔵庫は4ドア、5ドアはおろか6ドアまである。(果たして本当にそんなにドアが必要なのか?6枚もドアがあったらややっこしいったらありゃしない。まるで大型ワゴン車である)

右開き、左開きは当たり前、観音開きから、どちらからでも開ける両開きのまるで手品の道具みたいな冷蔵庫さえある。

それにしても、「今日は右から開けてみよっかなぁ、」とか「そういや母さん、最近左から開けてないね」とか言って使い分けるのだろうか?

もちろん変わったのは外見だけでなく、内部も進化をとげている。

液晶パネルとか、チルド室とか、野菜室とか、それぞれに自室を与えられ、食材たちのプライバシーもしっかり守られている。(昔はみんな仲良く川の字になって寝てたのにねぇ)

おまけにタンクなんかもついていて、水を入れておけば、かってに氷を作ってくれたりする。

製氷室といえば、きまって一番上についてたものだが、最近は一番下にあったり、真ん中にあったり、

売り場で冷蔵庫を開けて思わず、ぎょっ!としてしまうことなんかもある。

「なななんで、こんなとこに製氷室がぁぁぁ」てな具合である。

僕の知らない間にどうしようもないくらい冷蔵庫も成長しているのである。

なんだか、すっかり時代にとりのこされてしまった気がする。

でも本当にそこまで便利である必要があるのか?

と問いたくなる今日この頃である。
posted by 夢見る王子 at 17:27 | Comment(0) | TrackBack(2) | 日記

炊飯ジャー

日本に帰ってきておどろくのは、やっぱり電化製品の進化である。

オーストラリアの電化製品は遅れていて、掃除機をはじめ、冷蔵庫、洗濯機とどれをとっても「昭和」という時代を彷彿させるような商品群が

「私もまだまだ現役でがんばっとりますです、ハイ」

というような顔で店頭に並んでいたりする。

そんな商品を見ていると思わず、♪あなたは、もうぉ、忘れたかしらぁぁ…♪なんて「神田川」でも歌いだしたくなる気分になる。

オーストラリアが遅れているというより、たぶん日本が進みすぎているのである。

オーストラリアにいるときは米もマイクロウエーブ(電子レンジ)で炊いていたが、日本の炊飯器はやっぱり凄い。

伝統と歴史を誇るタイガーの電子ジャー「炊きたて」なんてマイコン装備で、もうほとんどマシーンと化している。

画面はデジタル表示でIH炊飯ジャーとかなんとか横文字のスゴソーな名前がついている。

ボタン一つでおかゆ、おこわ、玄米、赤飯、炊き込みごはんなど自由自在。

「真空断熱ふた + 新・特厚まる釜 + 新・つやつや保温の効果でお米の一粒粒を芯からふっくら炊き上げまーす」

とか書いてあると、ふむふむ、なるほどなるほど、ふっくら炊き上げるんだ、

そうなんだ、

IHなんだ、

すごいんだ、

「うまそぉぉぉー」って感じである。

やっぱ米はおいしく頂きたいのである。

といいつつ、一人暮らしの僕はついつい1人前パックのご飯を買ってはチンしている。

冷蔵庫の上の炊飯ジャーが、恨めしそうに、じっーと僕を見つめながら、

たまには使ってよん、コメぐらい炊けよぉ、

と語りかけてくる。

よーしぃ。明日は久々にコメでも炊くかぁ、なんて思う今日この頃です(笑)

皆さん、コメ炊いてますか。
posted by 夢見る王子 at 17:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

英語って下品な言語?

ハリウッドの映画なんかを見ているとホントにswearword(きたいない言葉)が多い。

字幕付きの映画なんかを見ていると訳に苦労しているのがよくわかる。

swearwordの代表格はなんと言っても4文字言葉の王様

FUCK!(ピーッ)

―(ちなみにこれは放送禁止用語隠し音です)である。

この言葉の本来の意味はもちろん「性交」、「セックス」、「にゃんにゃん(そんなのあったなぁ(笑)」、今ふうに言えば「エッチ?」であるが、

この言葉が歴史の中でその役割を変化させ、意味を広げて現在にいたった過程は端的に西洋文化の源流を物語っている気がする。(そんな大げさなもんかぁ)

まぁ、とにかく日本語には「性交」あるいは「エッチ」という言葉がこれほどまでに広い意味で使われる文化背景はない。

おそらく儒教や仏教の教えが強かったからだろうと思う。

Fuck off!といえば「あっちいけ!」とか「勝手にしろ!」とかいう意味になるし、

Fuck upで「しくじる」や「だいなしにする」という意味になる。

またingをつけて副詞的に使用することもできる。

I had a fucking good time.などともいえるのである。

この場合はただ単に次の言葉を強調したり、話し全体に下品な迫力を付けるために使用される。

とにかく英語人はFuckということばが好きで好きでたまらないのである。

やっぱり肉食人種だから仕方ないのだと思うが、もうその使用頻度ときたら信じられないぐらいだ。

会社や正式な場所ではもちろん使わないが、いったん友達同士や気の置けない人たちだけになると、FUCKの連発である。
 
映画Pulp fictionの中で男にレイプされたギャングのボス(いかつい黒人のお兄さんなんですけどぉ)

がブルースウィルスに

Are you OK?

と訊かれて

I’m pretty fuckin' far from OK.

と答えるシーンがあった。

直訳すると、

「私はOKからすんごい遠いところにいるんですぅ」となる。

意訳してみると

「ぜんぜんOKじゃねえよ」ということで、

更に改訳するなら「大丈夫なわけねえだろう!」

原文風に訳すなら

「とてもじゃねぇけど、大丈夫じゃねえや」って感じになる。

FUCK一つ訳すのも骨がおれるのである。

たかがFUCKされどFUCKやっぱりFUCK(意味わかりましぇ〜ん)なのである。

みなさんも健全なFUCKのある生活をお楽しみくださいね(笑)

それではまたぁーCHEERS!
posted by 夢見る王子 at 17:25 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

腰痛・アオー!

夜中に寝返りを打とうとして腰に激痛が走り、目を覚ました。
 
あ、いた・た・た・たぁ、と声にならない声を発しつつシーツをわしづかみしながら、

まずいなぁ、身体が動かないよ〜、寝返りも打てないし・・・

しかし、どうすることもできないのである。

仕方がないのでお地蔵さまのような状態で朝を待つことにしたのであるが、

それにしても夜中にベッドの中で腰痛にあえぎながら考え事などを始めると、

それはもう悲観的なのである。

もし、このまま一生立てなくなったらどうしよう(汗)

そんなことになったら僕の人生は一体どうなってしまうのだぁぁぁ。

一人でトイレにもコンビニにもデバ地下にも行けないし、それにそれに・・・。

ガチョーン!(ふるっ)それはまずい、ひどい、神様ひどすぎる、

まだまだ人生やり残したことが多いのに。

世のため人のため何かをやったわけじゃないし、一日一善も実行してないし

と、と、とにかく腰が動いてくれなければ、僕の人生は非常にまずいことになるのである。
 
なんとか腰が動かないものかとベッドの中で一人リハビリをやってみたが、

痛みのあまり、アオー!とマイケルジャクソンのように叫び出しそうになるばかりで、一向に回復の兆しがみられない。

結局、そのまま夜が明けてしまい、なんとか、ころがるようにベッドから膝を落とし、

じりじりと立ちあがって、近所の鍼灸院に行った。

じじぃのようにおそるおそるビビりながら歩き、なんとか医院にたどり着いた。

先生は僕の足をゆっくり右や左にたおしながら、

いたぁいですかぁ〜?

これは?これは?

と笑顔で聞いてくる。

「アオー!いだいですぅ」といいながら応えて行くのだが、

僕の顔が苦悶にゆがむたびに、心なしか先生の顔ががニタリとするのである。

先生ぜったいSだぁー、あちゃ〜と思いながらも、もうそれどころではない。

アオー、ぎゃぁおー、ひぇ〜と一通りシャウトが終わると、針を打ち、電気をあててもらい、その日はおわった。

どうやら完治まで時間がかかりそうである。

ああ、腰ってホントに大切なんですよね。

皆さんも、身体を大切にしてくださいね。


ああ、腰ってホントに大切なんですよね。皆さんも、身体を大切にしてくださいね。
posted by 夢見る王子 at 19:43 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記

才能ほしいぃー!

今、あなたが一番ほしいものは?と聞かれたら

「お金―!」「脳ミソ―!」「美貌―!」「イケてる彼氏―!」「美人の彼女―!」

と答えは様々であると思うが、僕はいつも「才能―!」と答えることにしている。

才能といっても、コーヒーを鼻から飲みながらタバコがふかせるとか、へらへら笑いながら涙をボロボロ流せるとか、そういった類の才能ではない。

昔、(確か二十歳のころ)アマデウスというモーツアルトに関する映画を見たときに、

おおぉぉーっ!才能とは凄いはもんだなぁー、いいなぁいいなぁ才能があればいなぁ、と感動して以来、才能への卑屈なまでの憧憬がある。

「僕には人並みはずれた才能がある」という確信が持てれば、人生は楽チンである。それを信じて突っ走って行けばよいのである。

二十代のころは余裕こいて、自分にも何かしらちょっとした才能ぐらいはあるだろう。

大丈夫、大丈夫、まだ若いもんねぇ〜、そのうち凄ぉい才能が芽生えてきちゃうのさ、としゃくしゃくと構えていたのだが、三十代もかる〜く過ぎてしまうと、

あれ?もしかして僕には才能らしきものがないのではないか、と気づき始め、

三十代も後半になると、まずい、やばい、ひどい、僕には才能と呼べるものがないではないかぁぁぁー、

神様ひっどーい!

と確信するに至るのである。現実というのは本当にいやんなっちゃうぐらいに厳しいのである。
 
才能がない!と分った以上、今度は運と努力と要領とウソで残りの人生を乗り切るしかない。

しかしこれがなかなか大変である。運には見放されているし、努力は苦手だし、要領は悪いし、ウソつくとすぐばれるし、いったいどうすりゃいいのよーって感じである。

しかし、のこりの人生なんとか、生きていかないとねぇ。

みんさんもがんばってください(笑)
posted by 夢見る王子 at 14:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

恐怖のフライト

1週間ほどシドニーに行ってきた。いろいろあって、半年振りの来豪である。

シドニーに行くと言っても「やったやったホリデーだよ〜ん、イエ〜!」というわけではなく、ほぼ仕事、飲み、仕事、飲み、仕事と忙しいスケジュールである。

その上、僕は飛行機がでぇっきらいだから、「わ〜いわ〜い!うれちぃ、ウフッ」なんて素直には喜べない。

どちらかというと、「またアレに乗るんっすかぁ、そうすっか、またですか。なんか他にいい方法はないもんですかねぇ旦那ぁ」と言った感じである。

ほんとうにあんな鉄の塊が何時間も空を飛ぶだなんて想像しただけでも掌からじっと汗が滲み出し、その場で卒倒してしまいそうである。

飛行機の中はとにかく狭いし、めしはまずいし、空気は悪いし、となりのおじさんの足はくさいし、いびきはうるさいし、それにカンタスなんてスッチーよりも男のほうが多いし、最悪である。

「こんな狭い座席設定をしたのはどこのどいつだぁぁぁー、責任者でてこーい!」と振り上げたこぶしでスッチーを呼んでは

「すみませんけど、ビール一つ頂けますか」なんて愛想を振りまいたりしている。

仕方がないから耳栓、マスク、アイマスクで完全に顔を覆い、靴ぬいで、毛布にくるまって

「もう僕、寝る!だれも話しかけないで」と言った状態で座席にひばりついている。

我ながらぱっと見たら思わずぎょっ!と引いてしまうようないでたちではあるが、そんなこたぁ気にしちゃぁいられないのである。

その上、乱気流になんて巻き込まれた日にゃあ、もう顔面蒼白で「ごごごごめんなさい、神様、僕がわるぅございました。

こここれからはもっと真面目に生きていきます許してくださーい」

などと、裸の大将の山下清みたいにどもりながら、心の中で十字は切るは手は合わせるは、忙しいったりゃありゃしないのである。

もう昔の話になるが、機内の映画で「ダイハード2」が上映していた。

「ダイハード1」が結構おもしろい映画だったので、

「やったー、今日はラッキー、ダイハード2だぁ!」と喜んで見始めたのであるが、なななんと、ストーリーの中で飛行機がクラッシュするではないか。

飛行機の中で飛行機が落ちる映画なんてしゃれにもなんにもなりゃしないのよあんた!って感じである。

もうあまりの恐怖のために寝ることも、話すこともできず、全身硬直状態で残りのフライト時間を過ごさなければならなかった。

無事に空港に到着したときには、それはそれは深い安堵のため息とともに「生きてて良かったぁ」と感激のあまり涙がちょちょ切れそうだった。

誰も口には出さなかったけどきっと他の乗客もみんな飛び上がって抱き合いたい気持ちでいっぱいだったはずである。(ちなみに無事ランディングしたときに拍手が起こったほどだった)

エアラインの方、機内で上映する映画はちゃんと内容を見て決めてくださいね。お願いします。

それでは、今日も飛行機に乗る方! Have a safe trip!
posted by 夢見る王子 at 15:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

言葉の変化おそろしや

なんで世の中にはこんなにたくさん言葉があんの?と翻訳をやっているとつくづく感じるのである。

きっと100年前の田舎の生活なら一日400語もあれば足りたのではないかと思う。

ハラへった!ちかれた!あんたキライ!もう寝る!など基本的な言葉だけでも結構コミュニケーションははかれたはずである。

ところが時代が進み、大都会が出現し、なんだか世の中がややこしくなってくると、

経済用語、金融用語、医学用語、さらにはバイオテクノロジー、コンピュータなどの科学技術用語が「これでもかぁ、これでもかぁ」と生まれてくる。

ボキャブラの増加は♪もぉ、どぉにもとまらない〜♪状態になっているのである。

だから翻訳なんてやってると毎年、毎年、新しい辞書を買い足し、新版が出版されれば買い換え、言葉の洪水の中をおぼれそうになりながらもヒッシこいて泳いでいかなければならない。

ホントに新聞読んでても、雑誌見てても、新出語がパカパカパカパカ出てくるのである。

若者たちと話していると、会話の中にまで新出語が飛び出してきて、はて、それはいったいどういう意味じゃ?

だれかおらぬか、説明してみよなどと一人ごちたりしている。

これはもう何年も前のことになるが、まだシドニーにいた頃のある夜、みんなで飯を食ってるときの話である。

フラットメイトの友達のある男の子が僕に向かって、「夕べコクられちゃったんですよ」と、なんだかちょっぴり照れたような顔で言ってきた。

「コクられた?」なんじゃそりゃぁ。どういう意味じゃ。密告でもされたのか?(海外長いしよけわからん)
 
僕らが学生の時にはそんな言い方はしなかったのである。

数年前に実家の京都に帰ったときにも、こんなことがあった。

僕は旧友らと酒を酌み交わしながら昔話に花をぱっぱと咲かせていたのであるが、

そこである友人の名があがった。なにげなしに、「あいつ元気にしてんの?」と聞いてみたところ、

「あいつなぁ、さいきん、けっこうイタイねんでぇ」との返事がかえってきた。

イタイ?遺体?異態?いたいってなんや?と思わず聞き返した僕に、友人らは不思議そうな顔して意味を説明してくれた。

そんな言いかた昔はしいひんかったよなぁ、という僕に、

そう言えばそうかもしれん、とうなずく友人達であったが、

言葉というのは本当にどうしようもないくらいに変化を遂げているのである。

長〜く外国に住んでいると、そういう母国語の微妙な変化にはもちろんついていけない。

だからこちらが何気なしに使った言葉に対して「それ、死語ですよ」などと血も涙もない言葉が返ってきたときには

「いつの間に死んでしまったのですかぁぁぁ?」とその場で叫びだしそうになったりする。

死んでいく言葉、生まれてくる言葉、人も物も言葉もその場にとどまってはいない。

平家物語や方丈記が書かれた時代から、無常観はポップな感覚で人の心に生きつづけているのである。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」

 〜鴨長明『方丈記より』
posted by 夢見る王子 at 19:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

夜中の衝動・チップス編!

ときどき、突然、夜中にふとんの中で空腹を感じ、いてもたってもいられなくなってしまうことがある。

それがラーメンだったり、甘いものだったり、その時の体調や気分によって様々である。

この間はどういうわけか、バリバリぼりぼり、チップス系が食べたくなった。
 
いったん、バリバリぼりぼりモードに入ってしまうと、もう他のことは考えられず、頭の中でチップスが小躍りしながらウインクしたりするのである。

僕はふだんチップス系の菓子なんてほとんど食べない人間なのであるが、

その時はむしょうに口の中から胃の裏側まで完全なバリバリぼりぼりモードになり、

うううう、、あの頃のように豪快にバリバリいきたいなぁ〜、という衝動がおさえられなくなってしまった。

子供の頃よく食べたカルビーのポテトチップスや網の形のサッポロポテトバーベキュー味なんかを思い出しつつ、

結局は、ガバッ!と起き出して(これはもう寝ておれぬ)、ぎゅっと小銭を握りしめ、玄関を飛び出して近所のコンビニにまっしぐら〜なのである。

♪セブンイレブンいい気分♪

などと鼻歌までまぜながら、向かうのは近所のDAILY YAMAZAKI(細かい人生の矛盾は気にもとめないタチである)
 
ふだんは見むきもしないお菓子が並べられている棚のあたりを見てみると、これが案外種類も豊富なのだ。

コンビニも「やるときはやるではないか」なんてみょうに関心しながら、

やっぱり塩味かなぁ、どれどれチリ系もいいか、おやおやベジタリアン系もあるではないか、

などと夜中に心躍らせながら、気がついたら籠の中にはサンドイッチやプッチンプリンなんかも入っていたりするから、夜中のコンビニは恐ろしい。

行き馬の目を抜くとはこのことである。
 
家に帰って、コーラをぐいぐい飲みながら(チップスにはやっぱり最強のジャンクコンビ、コーラなんだよねぇ)

バリバリぼりぼり、むしゃむしゃ、ゲー(これげっぷです、すんません)とあっという間に食べきり、

目の前に広げられたチップスの袋とコーラの缶を見ながら、妙に呆然と恍惚感に浸りながら、満たされた気分でベッドに入った。

よぉ〜しっ、これでしばらくチップス系は食べなくてもオーケー!なのである。
 
しかし、考えてみると人間の衝動というのは恐ろしい。

衝動で物も盗めば人も殺しちゃう(毎日そんなニュースばっか)

その上、夜中に起きだしてジャージのままコンビニまで突っ走ってしまうのである。
 
みなさんも、衝動にはくれぐれも気を付けてねぇ〜。
posted by 夢見る王子 at 22:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

光陰矢のごとし!

今年も、あっ!と言う間に2か月が過ぎようとしている。

ちょっとよそ見をしているあいだに、誰かが人の目を盗んで時間を早送りしてるんじゃないかと疑いたくなってしまうほどである。

こんな調子だと、人生なんてホントに、えぇぇーもう終わりっすかぁ?それにしても早かったなぁ、それで結局は何だったんすかねぇ僕の人生って?

てな具合になってしまいそうで恐い。

えん魔様の前にひざまずいて、あれこれいいわけを考えながら、おっかしいなぁ、なんて首をひねっても遅いのである。
 
そう思うと、一日一日、悔いの無いようにしっかり生きていかねば!なんて思う

のだが、日々の諸事に忙殺されているうちにハレホレハレホレと歳をとってしまう。
 
しかし、歳をとるとどういうわけか昔に比べて涙もろくなったりする。

10年前なら、こんなお涙ちょうだいもの、ただのドラマじゃ〜ん、別になんとも思わないもんねー、なんてク―ルに構えていたのだが、

最近では、あぁあぁ、おぉおぉ、テレビに向かって嗚咽しそうになったりするから手に負えない。

これはぜったい歳のせいにちがいない。
 
歳のせいといえば、体力や記憶力や肌のツヤが、おいおい、というほどに衰えてくる。

ちょっと階段を上っただけでも、動悸(ドクドク)、息切れ(ハーハー)、吐き気(ゲロゲロ)などをもよおすし、

買い物に行っても、肝心なものを買うのを忘れて帰ってきたりする。

それに、気が付いたら目の周りに細かい皺がヤモリのようにはりついていて、ショッ〜ク!と鏡の前で思わずクラッと倒れそうになったりもする。
 
本当に、10年後、20年後の自分を想像するだけで、ひやぁ〜とお尻から火を噴いて飛んでいきたくなるのである。
 
ああ、人生一日、一日、大切にしないとなぁ。
posted by 夢見る王子 at 00:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

時間にルーズぅぅぅぅ

時間にルーズぅぅぅぅ

オーストラリアはだいたい、国をあげて時間にルーズだから、

「じゃ、今日中にコールバックするよ、マイト!」なんて明るく言われても、まぁ、かかってこないだろうな、と思うのが常である。

2,3日中にかかってくればいいが、そのままかかってこないなんてこともある。
 
電気屋なんかに修理を頼んでも、「う〜ん、午後に行くよ」と気の長い返事が返ってくる。

午後っていったい何時じゃ。午後は12時間もあるのをあんたは知っているのかっ!

僕は午後中ずっとひたすらあんたを待って家にいるわけにはいかないだぁぁーと叫びだしそうになりながら、

「午後って何時ごろ?」と甘く優しく聞きおよぶのだが、「そうだなぁ〜、午後だなぁ」と、返事に進歩がない。
 
それが非常に不思議なのであるが、逆もしかりなのである。

「この翻訳、大至急!今日中に頼むよぉ、pleaseー」なんて頼まれることがよくある。

仕方がないので、ふうふう、へーへー、メシも食わず、Cafeにも行かず、目を吊り上げて、頭から湯気ふきあげながら大急ぎで時間までに仕上げ、

「やったぁー、できたぁー!メール送信!」

とファイルを送り、一息ついて確認の電話なんぞを入れてみると、

「○×は今日、早くに退社しました」なんて言われ、ガチョーン!とその場で気を失いそうになることだってある。

今日じゃなくてもいいんだったら、頼むよぉpleaseーなんて言うなぁぁぁぁぁー!と憤慨してしまうのである。

しかし、そんなときは

「ここはオーストラリアだ、ここはオーストラリアだ」

となんども呪文のようにブツブツひとりごとを言うはめになってしまう。
 
いちどなんて、英訳のプルーフリーディングをオージーの翻訳家に頼んだのであるが、 「明朝に届ける」と言ったきり、2日経っても届かない。

その間にもこちらはメールを送ったり、留守番電話にメッセージを残したりなんとかコンタクトをとろうとしたのだが、それでも返事がこない。

急病かなぁ、それとも「逃げたか」などと想像したりしながら、やきもき気分なのである。
 
そりゃ、コンピュータに向かっておもしろくもないテキストを読んでは、チェック、読んではチェックしていたら、逃げたくなる気持ちもわかるのであるが、しかし仕事だからそんなことも言ってられないのである。
 
納期もすぎちゃったので、次ぎの日に直接オフィスに行ってみると、

「あっ、忘れてた、ヤベぇ」的な顔を一瞬浮かべたかと思うと、

sorry, sorry,忙しくて連絡できなかったんだよ、とそれほど悪びれる様子もない。
 
「ここはオーストラリアだ、ここはオーストラリアだ、奴は高田順次だ」と僕は心の中で呪文を唱えながら、

No worriesとゆがんだ笑顔で答え、書類を受け取るのである。

クライアントはクライアントで納期を過ぎても催促してこないし、いったいどうなってんだぁこの国はぁ、と思いつつも、

まっいいかぁ、って感じである。

日本に帰った今、はたして僕はやっていけるのであろうか・・・・。
posted by 夢見る王子 at 23:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人生は厳しいぃ!

翻訳の仕事というのはけっこう波がある。

仕事があるときには「もうヤ―だぁ、かんべんじでぐれぇ〜」と絶叫したくなるほど仕事があるのに、これがないとなったら、ぜぇ〜ぜぇ〜んないのである。(まぁ、今は翻訳はサイドビジネスなので問題ないのであるが)

だから、当時、翻訳だけで食っていたときには冬眠前のアリさんみたいに、仕事があるときには文句もいわず(実際は言いまくってたけど)シコシコ、カリカリ、わき目もそれずまっしぐらぁぁぁぁ〜に翻訳にいそしんでいた。

ヒドイときなんかは、24時間耐久翻訳!なんてことにもあった。〆切りに追われていると、腕時計の上で消えていく時間がもどかしくて仕方がない。

「ねぇ、ねぇ、お願いだから「時間」さん、そんなに速く流れないで、お願い聞いてバカバカバカ」

なんてつぶやきながら、ふと〆切りまでの時間を逆算して「オオォォ〜、時間がたらん!このペースじゃぁ、朝までに終わらんではないか」

と夜中にまっ青になったりするのである。

そうなるともう翻訳には集中できず、いいわけばかりが頭に浮かんでくる。

「いやぁ、夕べはまいりましたよ、もう死ぬ気で翻訳してたら突然眼の前に仏様が現れて、『今日はもうお休みなさい。ゆっくり休まないといい翻訳はできませぬぞよ』なんて言われたもんですから・…、すみまっせん!」

とか、「夕べは〆切りに間に合わせようと真面目一直線に翻訳してたんですがねぇ、突然、コンピュータの画面上に夢食いバクみたいな動物が現れて、片っ端から訳文を食べちゃうんですよ、信じてもらえないだろうなぁ、でも、ほんとなんですよ、いやぁまいったなぁ、まいったまいった、デヘヘ。まぁいいや、とにかく、〆切りのばしてくださいよぉー。お願いしますぅ。」などなど、

馬鹿げたことを妄想しては「「いかん、いかん、真面目にやらねば」と自分を戒め、改めて翻訳に没頭するのである。

しかし、問題はそれだけではない。急いでいる時に限ってよけいなことが気になったりする。

意味もなく机の上の掃除を始めたり、

ふと目に入った爪きりをおもむろに取り上げて爪を切り出したり、

何を血迷ったか突然、ビリーズブートキャンプをおっぱじめたり・・・

だって、机の上が汚いと翻訳に集中できないしぃ、爪がのびてたらタイプもちゃんと打てないしぃ、翻訳ばっかしてると肩は凝るしぃ、、、、とまたまたいいわけのオンパレードが始まってしまう、

「この期に及んで、いったい僕は何をやっておるのだぁー」と更なる自己嫌悪の闇に落ち込んでいくのである。

このように翻訳というのは本当に、自己との戦い、鍛錬、試練、修行の道なのである。

人生は厳しいのである。(おおげさな)

みなさんも、日々精進して華麗なる素晴らしい人生を切り開いてくださいね。
posted by 夢見る王子 at 23:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

クレイジーな人々

シドニーで翻訳の仕事をしていた頃、OFFICEにいると集中力が続かず、ぜぇーんぜぇーん仕事なんてはかどらなかった。

まずは次から次に電話がかかってくる。(それもヘタすると机の上の電話とケータイが一緒に鳴り出して、ピポピポ、トゥルルル、ピポピポ、トゥルルルと二重奏が始まり、「おいおいそれは無理だろう」って状態になったりする)

その電話も仕事関係のものならいざしらず、「あのぉ、日本人の彼氏にぃプレゼントわたしたいんですけどぉ、日本語でぇwith loveってなんていうーんですかぁ?」

とか、「日本語のコンピュータソフトを入れたいんだけどさ、どこで売ってっか知らないかなぁ、捜してんだよね」

とか、「日本にワーホリで行くんだけど、いい仕事ないかなぁマイト?」etc、、、、、

俺はあんたのパーソナルカウンセラーかぁぁぁーと叫びだしたくなるのをのみ込んで、「そうだね、そういうことだったら○○××に電話してみたら、きっと丁寧に教えてくれるよんマイトgood luck」なんてナイスガイ風に答えたりしていたのである。

会社の評判を保つのも大変なのである。
電話以外では、いろんな人がいろんな用事で僕のもとにやってきた。

センセー(ちなみに僕は仕事場ではそう呼ばれていた)コンピュータの調子がおかしいんっすけど、、、ちょっと見てもらえますか?とか、

あのビデオがうつんないんですけどぉ、なんて僕をてっきり技術屋かなにかと勘違いしている人や、

チョコレートを売りに来る人、募金を集めに来る人、「翻訳料まけて―」とか「金たてかえろ」とか挙句の果ては「昼メシおごれー」と迫る人まで、まあクレイジーな人達がやってくるのである。

だからそんなところで翻訳なんてとうていできないのである。

隙を見ては外に逃げ出して、カフェでサラサラ訳してみたり、時には移動の電車の中で、シコシコ訳してみたりするのである。これは案外効率がよかったりする。

それに比べたら、今は自由である。仕事はPCでやることがほとんどなので、時間は自分で決めればいいし、ほとんど誰も訪ねて来ないから、集中してできる。

しかし、クレイージーな人でもたまには来てほしいなぁ、なんてふとあの頃のシドニーの生活を思い出したりしている。
タグ:翻訳
posted by 夢見る王子 at 22:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

冬きら〜い!

まだまだ冬が続いている。「さむ〜いのキライ」な僕にとっては、どうにもさえない季節である。

外に出て冷たい風なんかがビュビュビュンのビューンなんて吹いていると、何だか心にまでひんやりとした空気がヒュルリン〜となだれ込んで来て、

「人生ってなんだかわびしいのよねぇ」なんて一人「津軽海峡冬景色」のような気分になってしまうのである。

寒いと言えば、昔、貧乏学生だったころに頃に住んでいたオンボロアパートは特にひどかった。

当時、極貧だった僕はもちろんヒーターを買うお金なんてあるわけもなく(まぁ、コタツだけはあったんだけど)厳しい環境条件の中で暮らしていたのである。

とにかく部屋の中にいても吐く息は白く、鼻汁は青い。

寝るときだってスウェットパンツの上からジーンズはいて靴下はいて、スウェットシャツのフードを頭からかぶり、さらにドテラまで着込んでベッドにもぐり込み、フトンを頭の上までかぶってやっとこさ準備完了なのである。

身体が温まってくるまではちめた〜いベッドの中で、それこそ冷凍庫のイカみたいに身動きの一つもせず、「ほんとうに寒いんですぅ、まじなんですぅ」とただひたすらに耐えていた。

そして次の日、目が覚めると、部屋の中は更にとんでもない状態になっていたりする。

ちょっとフトンから顔を出しただけで、「ひょえ〜さみーっ!これははっきり言って無理ですぅ」

と起きる気持ちも一瞬でこっぱ微塵に吹き飛んでしまうのである。

「とにかく今日は寒すぎる、ひどすぎる、過酷すぎる、起きるのはやめよう、そうしよう!」

と一人納得し、再び眠りの世界にヒュ〜ンと落ちて行きそうになるのであるが、

「いかんいかん、起きて学校に行かねばまた単位を落としてしまうではないか」と良い子のほうの自分が出てきて寝ボケた頭の中で不毛な葛藤が始まってしまうのである。

とにかく一旦起きてコタツのスイッチを入れよう、そこから始めよう!と思い、体中の力と勇気をかき集めてガバッーと起き上がり、ハヤテのようにスイッチを探り当て、ON!にして再びベッドにスッ飛び戻るのである。

よ〜し、作戦成功じゃ、次はコタツが温まったらとにかくコタツに入り、それから洗面所に行って顔を洗おう、とか考えるのであるが、

一旦コタツに入ってしまうと、ついつい猫のように丸くなり、またまたうじゃらうじゃらと眠りの世界に舞い戻ったりするのである。

こんなことを毎日繰り返すのだから朝からへとへとに疲れてしまう。

そう考えると、今はエアコンもあるし、まぁしのぎ易いほうか、と思ってガマンするしかないのかもしれない。

それにしても、早く夏が来ないかなぁ、と思う今日この頃である。
posted by 夢見る王子 at 20:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ヨーロッパ旅行

ヨーロッパ旅行

夕べ、夜中に「水曜どうでしょう、ヨーロッパ20カ国完全制覇」という番組で大泉洋がイタリアのフィレンツェでドゥオモーに登っているのを見て、僕もヨーロッパに行ったときのことを思い出した。

確か、ロンドンに入り、パリからミラノ、ベニス、フィレンツェと下りローマにたどり着いた。

当時、シドニーでの生活がまる10年を過ぎたということもあり、久々に1人旅がしたくなった、なーんて言うとなんだかカッチョいいが、本当は「もうダメぇー、翻訳するのいや〜ん、シドニーは寒いよぉー」など、ものすごく説得力のある個人的な理由があったからである。

ヨーロッパを選んだのは、辻仁成さんと江國香織さんの共著「冷静と情熱のあいだ」という本を読んで単純に「僕もフィレンツェのドゥオモ−に登りたい、ゼェーッタイ登りたい!」と思ったからである。

村上春樹さんも何かのエッセーに書かれていたが、旅というのは本当に「アンチクライマックスの連続」なのである。

電車は遅れる、お金を入れても販売機から切符がでてこない、言葉が通じない、トイレが見つからない、見つかったと思ったら行列、やっと入ったと思ったら紙がない等、脂汗かきながらモジモジしながら気を失いそうになりながら、それでも我慢しなければならないのである。

イタリアを旅していると、1時間、2時間並んで待つというのはもう普通のことなのだ。

最初のうちは行列を見ると、「げっ!こんなに並ぶのぉー、いやんいやん」と思う、そして1時間ぐらい並んでいると、「どうしてチケット売り場を増やさないんだよぉ、バッカじゃないの」と怒りが込み上げてきて、人ごみの中で「ぐわぁぁぁー責任者でてこーい!」と発狂したくなる。

しかしそれも2時間を過ぎると、もう疲れ果てて借りてきた猫みたいにおとなしくなり、無口に真面目に従順に、ただひたすらに待つようになるのである。

イタリアとは恐ろしいところなのだ。本当に食うか食われるか、待つかあきらめるか、無制限一本勝負なのである。

そこいくと日本の銀行や駅の行列なんて、朝メシ前のお茶の子さいさい、ピースオブケークなのだ。

そういえば、イタリアにはジプシーの物乞いも多かった。

「金くれよ、金、あたしゃぁこまってんだよ」というようなダメおやじにでてくるオニババみたいな形相のオバサンから

「お金くんなきゃ、もうこのまま首くくって死にますぅ」というような悲壮な顔をしたオジサンまでいろいろである。

かなり疲れる旅ではあったが「忍耐」というものを改めて学んだような気がする。

久々に、またプラリとどこかに行きたくなった、

次はアジアかぁ!
posted by 夢見る王子 at 19:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

オノマトペとは

ご存知のように日本語と英語というのはぜぇ〜んぜぇ〜ん違う。

だから翻訳していてもいろんな困った問題にぶち当たる。

オノマトペ、つまり擬声語・擬態語もその一つだ。

日本人はこのオノマトペが大好きなのである。「夕べは遅くまで翻訳で、僕もうへなへなのボロボロですぅ。でもぉ今日は天気もいいしぃ、気分はビョ〜ンと絶好調だから、ぼよよ〜んと街にでもでもくりだすかぁ」

とか、

「夕べはもうイケイケのウハウハだったんだけど、最後はゲロゲロでさぁ」ってな具合である。

こんなのを英語に訳すのははっきり言って無理です。ぜぇ〜ったい無理です。無理なのものはなんと言われても無理なのです。

だから夜中に一人で翻訳なんてやってると荷物をまとめてどこか遠く、ふっと旅にでも出たくなるのである。

それにしても言葉というのは面白いもので、毎年毎年、新しい言葉が生み出されていく。

ラブラブなんていう擬態語が使われだしたのもここ10年ぐらいのことだろうか。僕が学生の頃にはなかったのは確かである。

こんな風に英語から派生してしっかりと日本語の擬態語として定着し、若者達の生活の中に根をおろしているのである。

「あの二人ラブラブなんだってぇ」「うっそー、マジでぇ?」なんて言い方は、なんちゅうか現代ニッポンの若者達の間では、めちゃくちゃ的を得ている表現のような気がする。

それが「あの二人アツアツなんだってぇ」「ガチョーン」なんて言われた日には、こっちが恥ずかしさのあまり赤面して、その場から駆けだしてしまいそうである。

言葉の移り変わりとは恐ろしい。

最近ではそのラブラブから派生して「ラブる」、と動詞としても使うらしい(ほんとかよ)。

「最近ラブってないんだよねぇ僕ぅ」とか「ラブりたい、ラブりたい」更には「ラブれるもんならラブってみろよぉ」なんてことも言うらしい(言うか!)

擬態語から動詞に変形したものは他にもある。「ころころ」から「ころがる」、「ねばねば」から「ねばる」など例をあげれば枚挙にいとまが無い。

だから「ラブラブ」から「ラブる」が生まれても、それはそれで同然の成り行きと言える。

日本語というのは本当におもしろいなぁ、と思う今日このごろです。
タグ:翻訳
posted by 夢見る王子 at 22:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

夢を追いかけて!

昔、シドニーで仕事している頃に、ときおり、大きな翻訳の仕事が入ってもぜぇ〜んぜぇ〜ん嬉しくないときがあった。

なんちゅうか気が進まないのである。

仕事を始めたころなら大きな仕事がドーンと入ると、デビルマンのように全身に殺気がみなぎり、「よっしゃやったるでー」とオフィスから見えるシドニーハーバーの景色に向かって絶叫したりしたものであるが、何年かやっていると、「おねげぇだーかんべんしてくだせぇ、お代官様〜」と足元にすがりついて涙の一つでも流しそうな気分になるのである。

どんな仕事でもこういういわゆるスランプというのはあると思うが、こうした苦難を乗り越えてこそ、正真正銘の必殺仕事人になっていくのである。やっぱプロというのは厳しいんだよねぇ。

翻訳の仕事と言ってももちろん楽しい仕事ばかりではない。もうわけのわかんない機械のマニュアルとかぁ、ひどく込み入った契約書だとかぁ、

そんなものを何十ページ、何百ページと読んでいると、だんだん頭がボンダイビーチ(シドニーの有名なビーチなんですけど)のくらげみたいになってくる。

そのうち湯気がでてきて、鼻血が噴き出し、耳だれ、ヨダレが出て発狂し、死にいたるのである。(そんなわけないか)

それにしても職業を選ぶというのは難しいものである。

仕事というのはそれこそ朝から晩まで、月から金まで携わるわけだから、仕事が嫌いだったり、自分に向いてなかったりしたらそれはもう地獄の3丁目あたりで鬼に電気あんまをかけられてるよりもつらいのである。

翻訳なんかはどちらかというと孤独な作業で「う〜っ」とか「これでもかぁー」とか「もうダメー限界」なんてぶつぶつ言いながらコンピュータに向かう仕事だから、コツコツ、カリカリ「一人ぼっちでも寂しくないも〜ん」という人でないと勤まらない。

昔、ゴールデングローブ賞のスピーチでアルパチーノが「ここに集まってるみんなはラッキーだ!自分のやりたいことをやって飯が食えるんだから」というようなことを言っていたが、本当にその通りだと思う。(それにしてもあんときのアルパチーノはかっちょよかったなぁ)

皆さんも夢があるなら追いかけてください。夢がないなら探してください。

本当にやりたいことを全身全霊を傾けてやってください。時間は一秒一秒もの凄い勢いで過去になっていきますよ。

悔いのない人生を!
タグ:翻訳
posted by 夢見る王子 at 22:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

モバイル的青春

2008年がやってきた。なんだか遥か遠くのほうからのっそりのっそりとやってきたような感じである。

小学生の時には2008年なんて、想像もできなかったけど、実際になってみると、なんだか時の流れの凛とした冷たさに恐怖さえ感じてしまう。

それに現在のようなモバイル生活が可能になるなんて想像もできなかった。

僕らが学生の頃はもちろん携帯やEメールなんてなかったから、彼女とかと待ち合わせをして、もし約束の時間に現れなかったらもうひたすら待つしかなかったのである。

そわそわ、うきうき、イライラ、待ちに待つ。「?わたし待〜つ〜わ、いつまでも待〜つ〜わ?」なんて歌いながら待つ。もう忠犬ハチ公の気分なのである。

それでも来なかったら、今度は「どうしたんやろ?」「大丈夫かなぁ」「なんかあったんじゃないのぉ……ない、ない、あるわけない。いやひょっとして・・・」なんて不幸な状況をかってに頭の中でこねくりまわし、目まいで倒れそうになりながら、それでも待たなければならなかった。

それが今の若者達のモバイル的青春はすごい。待ち合わせの場所に行って相手がいなければ、携帯とりだして、ピ・ポ・パ「今どこ?マジ?OK。待ってるよん」ってな具合なのである。

僕らのあの青春の苦悩はいったいなんだったんだぁー、責任者出て来―い!と叫びたい気持ちになる。ほんとにうらやましいったらありゃしない。

しかし、テクノロジーが進んだおかげで、僕の仕事もずいぶん楽チンになったのも事実である。こんなふうに、こんなとこで日記書いてたりもできるし。

さて、テクノロジーのどんどん進歩する新しい年の幕開け、皆さんはどんな年になりそうですか?

大志を抱き素晴らしき年にしてくださいね。

皆様の願いがかなうよう…合掌。
posted by 夢見る王子 at 22:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ラブレター

翻訳家回顧録ーラブレター

僕の翻訳のクライアントはほとんどがコーポレイト(企業)だった。定期的に依頼のあるクライアントもあれば、たまぁーにしか仕事をふってこないクライアントもある。

もちろん一見さんも多い。企業にしても業界トップの大手から個人企業まで様々である。

その合間をぬうように、個人のお客さんからの仕事も入った。個人のお客さんが持ち込むものは、ほとんどが手紙である。

内容としては、日本でお世話になった人への手紙や、日本人と結婚したオージーが日本にいる義理の両親や親戚に出す手紙などである。

また変わったところではラブレターの翻訳を頼まれるなんてこともある。実はこのラブレターがやっかいなのだ。

翻訳に入る前に、たいていは打ち合わせをするのだが、本人のキャラクターと相手との関係をうまくイメージできないといい翻訳はできない。

例えば、I や YOU をどう訳すかがまずは問題である。男の場合だったら、俺、僕、私、おいら、オレッチ、我輩(そんなやついるか?)、小生(今時これもないか)などといくらだって色づけするこができる。

気の弱そうな生真面目なオージーの男の子が恥ずかしそうに持ってきたラブレターを「ヘイ、ベービーお前のこと愛してるんだぜ」なんてワイルドに訳すわけにはいかないのである。

かといって「小生、あなた様のことをお慕い申し上げております」なんて訳すのもどうかと思う。

読んだ女の子がひっくり返らないように細心の注意が必要なのである。

しかし、夜中にコンピュータに向かって、「僕は君のことを考えると、べジマイトトーストものどを通りません。あのとき二人で見つけたハイドパークのポッサムを覚えていますか?」なんて打ち込んでいると一瞬、スに戻って、「夜中になにやってんだ俺はぁぁ、人のラブレターを訳している場合かっ」と深い憤りが体中をかけまわったりする。

しかし、それでも「お仕事、お仕事」と、訳しつづけていくうちにだんだんと勢いに乗ってきて、まるで自分が恋でもしているかのような気分になってくる。

気が付いたら♪You are everything!You are everything!♪なんてマウス片手に熱唱してたりするから恐ろしい。

そうしてようやく出来上がったときには「よーしっ!これでOK!彼女のハートはいただいたぜぇ。がははははぁー」なんて夜中に不気味な笑い声を上げたりするのである。

こんなふうにオーストラリアにいたときにはいろいろな仕事が入ってきた。マーケット自体が小さいので、翻訳の仕事もそれほど専門分野ごとに細分化されていなかったからだと思う。

さぁ、これからどんな仕事が来るかなぁ、
posted by 夢見る王子 at 23:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

嗚呼、カタカナ語よ!

翻訳していてよく悩むのが、カタカナ語(外来語)の使い方である。

近頃はもの凄い勢いでカタカナ語が溢れていて、「ちょっとまずいんじゃないのぉ」という危機感させ抱いてしまう。

数年前までは日本語に訳していたものが最近では全部カタカナ化している。

コンピュータの分野ではディフォルト、ディコード、エンコードなどはもうすっかり日本語として定着している。

モバイルという言葉も、初期のころは移動体通信と訳していた。

金融用語も同じで、初めてポートフォリオなんて言葉が出てきた時には、投資プランとか資産運営とか、文脈によっていろいろな訳語を当てていたのだが、最近ではカタカナOK!なのである。

翻訳するほうにとっては楽チンでいいのだが、果たしてこれでいいのか、日本語よ?と問いかけてみたくなる。

フランスのように自国の文化と言語を守るため、英語追い出し運動なるものをやってもいいんじゃないかと思う。

英語はダメ!ダメなものはダメ!わかるけどダメー!と言い切ってしまえれば気持ちがいい。

実際のところ、情けないほど宿命的に西洋文化に弱い日本人にとってはちょっと、というかほとんど無理だと思う。

だって「英語のほうがかっちょいいじゃん」とかいう意見もわかるような気がするし、歴史的にみても日本人は外国語を借りるのが好きで好きでたまらないのである。

とにかく借りられるものはどこからでも借りちまえっ!という風潮は今も続いている。

アルバイト、カルテはドイツ語だし、ズボン、アバンチュール はフランス語、ノルマはロシア語、パンはポルトガル語、と来るもの拒まずで、節操なんてものはありまへんってな勢いなのである。

かといって、「今日から外来語は使用禁止!違反したものは市中引き回しのうえはりつけ!」なんて言われても現実味がない。

「ねぇ、キスして」とか言われたら「うんうん、するする、させていただきまーす」と思ちゃうところだが、「ねぇ、接吻して」とか言われたら、思わず生つば飲み込んで、その場で固まってしまいそうである。

「来週、デートしようよ」って言われたら「オーケー、どこ行きたい」というふうに会話もはずむかもしれないが、「来週の逢い引きはいずこで?」なんて聞かれたら、なんだか裏通りの場末のジャズ喫茶で人生相談でも持ちかけられそうな気がしてくる。

そう考えると、やっぱ外来語も大事かぁ、という気になってくる。

大切なのは節操である。「これはカタカナのほうがいいぞ、でもこれはやっぱ日本語でしょ」という冷静な判断力である。

みなさんも人生でいろいろな判断に迫られるとは思いますが、目を細めて、しっかり見極めてくださいね。
posted by 夢見る王子 at 00:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

Urgent嫌い!

僕はUrgent(急ぎの、緊急の)という言葉がどうにも好きになれなかった。

いやどちらかというとかなりキライである。それがクライアントから送られてくるFAXのカバーシートや、Eメールの冒頭に書かれていたりしたらなおさらだ。

おまけにエクスクラメーションマークなんかが後についていて(つまりこんな感じ―Urgent!)

いかにも「大至急だよ、こちとら急いでんだよこのオタンコナス!」なんて感じで必死に訴えかけているのを見るともうカンベンシテヨーなのである。

それが金曜日の夕方だったりしたらそれこそもう全身にものすごい脱力を感じてしまう。

「何考えとんねん、今日は金曜やぞ、お前はそれでもオージーか」と思わず叫んでしまいたくなる。

そりゃぁ暇そうに見えるかもしれないけどぉ、僕だってこれで結構忙しいのだ。

翻訳家養成講座だって教えているし、日本語だって教えているし、

昼ごはんだって食べなきゃ死んじゃうし、カプチーノだってちゃんとカフェで飲みたいし、気晴らしに散歩だっていきたいし、、、、それはそれは無限に忙しいのである。

それでも、そのUrgentという言葉の魔力とでも言うべきか、はたまた僕の不甲斐なさとでも言うべきか、じわじわとたたみかけるようなそのUrgentという言葉についには負けてしまい「きっと向こうもいそいでんだろうな、しゃぁないな、やってやっか」なんて妙にものわかりのいい下町のあんちゃんみたいな気分になってきて、結局遅くまでコンピュータに向かう羽目になるのである。

ほんとうにイヤになっちゅうというのはこのことである。

それにしても、インターネットのおかげで便利になったのはいいが、仕事のペースがずいぶんと加速化してしまった。

自分自身はぜんぜん加速してないのに、コンピュータはものすごいスピードで進化していく。

オフィスに行ってPCを開いたら、もう気が遠くなるほどメールが入っていたりして、げっ!といきなり気がめいってしまうのである。

コンピュータだけじゃなく、僕の頭もそろそろペンティウムWぐらいにはアップグレードする時期がきているのは間違いなさそうである。
タグ:翻訳
posted by 夢見る王子 at 22:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

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